■ Pocoの歴代メンバー



■ リッチー・フューレイ Richie Furay

  1944年5月9日オハイオ州デイトン生まれ、イエロースプリングス育ち。1962年、地元オハイオでのカレッジ時代にBob Harmelink, Nels Gustafsonと三人編成のフォーク・グループ(Monks)を結成し音楽活動を開始する。
  1964年、NYのグリニッチ・ヴィレッジ周辺で音楽活動をする中で、Stephen Stillsと出会う。MonksとStillsとボストンから来たBay Singersが合体し、9人編成のAu Go-Go Singersというグループが結成される。(Richie 20歳の時である。)Au Go-Go Singersは1964年11月にアルバム"They Call Us Au Go-Go Singers"を発表するが、短命で1965年4月に解散する。
  Au Go-Go Singers解散後は、NYで百科事典の訪問販売で食いつなぎながら音楽活動を続ける。1965年11月にはStillsを尋ねてNYに来たNeil Youngと出会う。(その時、既にStillsはLAにいた。)1966年2月、そのStillsから呼び出されLAに向かう。4月6日、Neil YoungとBruce Palmerが同乗した霊柩車とStillsとRichieが同乗した車がSunset Boulevardで伝説の再会をはたす。1966年4月、この4人にDewey Martinを加え、Buffalo Springfieldが結成される。(Richie 22歳の時である。)
  Buffalo Springfieldは1968年に解散する2年の間に3枚のアルバムを残す。Buffalo SpringfieldでのRichieの位置付けはサイドギター兼ボーカルで、その歌唱力はStillsもYoungも買っていたと思われる。2枚目のアルバム"Buffalo Springfield Again"からは作曲も手がけるようになり、その存在感は増す。3枚目のアルバム"Last Time Around"に収録されたNancy夫人の事を歌ったKind Womanの収録過程で新しいカントリー・ロックバンド結成のアイデアを得たRichieは、Buffalo Springfieldの崩壊後すぐにJim Messinaと共にPocoを結成する。(1968年、Richie 24歳の時である。)
  1968年から1973年までの5年間、RichieはPocoの顔、リーダーとしてグループを牽引する。バンドの演奏力、力量とは裏腹に、残念ながらRichie在籍時のPocoは商業的に成功することがなかった。一方で、以前のバンド仲間が次々と成功していくのを見るのは心中穏やかでなかったことは想像できる。Pocoでは6枚のアルバムを残し、ついに自身が結成したバンドに見切りをつけ、David Geffenが画策したスーパーグループThe Souther-Hillman-Furay Bandに参加する。(1973年、Richie 29歳の時である。) この当時、何が何でも売れたい、メジャーになりたいと言う意識はかなり強かったと思われる。
  SHF Bandはそもそも3人のスターを寄せ集めただけのバンドであるがゆえ、長続きするはずもなく、1975年には2枚のアルバムを発表しただけであえなく解散してしまう。SHF BandでのRichieのポジションは当時のライブ音源を聞く限り、SoutherやHillmanより上であったように思われる。観客もやはりRichieへの声援が一番大きい。1974年7月15日、NY Central Parkでのライブのセットリスト:
1)Border Town, 2)Things Will Be Better, 3)Let's Dance Tonight, 4)The Heartbreaker, 5)The Flight Of The Dove, 6)Pretty Goodbyes, 7)Faithless Love, 8)Devil In Disguise, 9)Kind Woman, 10)Believe Me, 11)Rise And Fall, 12)Trouble In Paradise, 13)Safe At Home, 14)Fallin' In Love, 15)How Long, 16)The Fast One
  SHF Bandでの最大の出来事は、Richieのその後の人生を変えるAl Parkinsとの出会いであったと思う。彼はRichieにキリスト教を伝道し、Richieも徐々にその道に傾倒していく。(Richie 30歳の頃である。)
  SHF Bandの解散後、1976年にはバンド・メンバーをクリスチャン・ミュージシャンで固めたRichie Furay Bandを結成し"I've Got A Reason"を発表する。続いて1978年、ソロ名義で2ndアルバム"Dance A Little Light"を発表する。このアルバムにはゲストミュージシャンとしてChris Hillman, Jim Messina, Timothy B.Schmit, George Grantham, Rusty Youngと言ったかつてのバンド仲間が参加し、Richieをサポートしている。翌1979年、3rdアルバム"I Still Have Dreams"を発表する。このアルバムもバックミュージシャンにはRuss Kunkel, Lee Sklar, Craig Doerge, Waddy Watchtel, Dan Dugmoreを起用し、ゲストミュージシャンにはJD Souther,Timothy B.Schmit, Randy Meisnerが参加しており、超豪華なメンバー構成となっている。
  この78年と79年の二枚のアルバムでRichieは可能な限りの策を講じ、ツアーも行い勝負に出たと思う。しかし、ここでも本人の期待とは裏腹に、成功とは程遠いレコードセールスしか残せなかった。この時点で「もう俺は売れない。」と悟ったかどうかは定かでないが、コロラド州ボウルダーで牧師としての活動を開始するようになる。(Richie 35歳の頃である。)
  翌1980年、George Granthamと元"Richie Furay Band"のメンバー(Virgil Beckham, Hadley Hockensmith, Billy Batstone)と共に"USR(United States Rock)"と言うグループを結成し、数曲のデモ曲をレコーディングしたがレコード発売までには至らなかった。
  1982年、4thアルバム"Seasons Of Change"が発表される。このアルバムはMyrrh Recordsからのリリースで、完全にクリスチャン・ミュージックに内容が変わった。
  1986年、7月Buffalo Springfieldのリユニオンの話があり、Stillsの自宅スタジオでリハーサルがおこなわれた。このリユニオンはNeil Youngが難色を示し、結局、実現には至らなかった。1989年、今度はPocoのリユニオンの話があり、そのプロジェクトに参加する。アルバム"Legacy"では2曲提供している。(Richie 45歳の時である。)1990年、サマーツアーの前まではPocoのライブに同行したが、教会の活動に専念するため、ツアーから離脱、来日公演にも参加しなかった。
  1995年、7月6日、Humphrey's, San Diego, CAで開催されたStephen Stills, Chris Hillmanとのジョイントライブに出演。RichieはStillsの前座を務めた。
  1997年、5thアルバム"In My Father's House"が発表される。(Richie 53歳の時である。)1997年、1998年にはバンドでのツアー活動を行っている。2000年以降は、相棒Scott Sellenと二人でアコースティック・ライブを教会等で実施したり、時折Pocoのライブにも飛び入り出演している。2003年にはカリフォルニアでのPocofest IIに参加、2004年5月にはナッシュビルのBELCOURT Theaterで行われたPocoのDVD収録に参加。8月にはHumphrey'sでJim Messinaとの競演も行っている。近年の精力的な音楽活動はファンにとってはうれしい限りである。6thアルバム"I Am Sure"もそろそろ発売と言う状況であり、60歳になっても元気でがんばっている。
Richie万歳!
Richieの魅力はその歌唱力とポップでメロディアスな楽曲である。私のお気に入りRichieベスト10は次の通り:

1) A Good Feelin' To Know
2) Let's Dance Tonight
3) Believe Me
4) Kind Woman
5) Someone Who Cares
6) Through It All
7) Stand Your Guard
8) When It All Began
9) Fallin' In Love
10) Hallelujah

(Richie Furay Fan)



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